新聞で紹介されたIDRO JAPAN の記事

毎日新聞 2012年08月06日 大阪朝刊

製作中のやぐらを眺めるロバート・マンゴールドさん(右から2人目)ら=大津市で7月26日

 京都市のボランティア団体代表を務める米国人男性らが、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市福貴浦(ふっきうら)地区の盆踊りのために、木製のやぐらを製作、寄贈した。地域を離れた若者らも、この日は帰省して来るという伝統の夏祭りでの行事だが、踊りの輪の中心になるやぐらは津波で流されてしまった。13日に2年ぶりに夏祭りが復活することから、「復興に役立てば」と再建をかって出た。「善意のやぐらで祭を盛り上げたい」と、住民らは当日を心待ちにしている。

 やぐらを作ったのは国際災害支援機構日本代表のロバート・マンゴールドさん(42)と大津市の建築業、松井晃司さん(42)ら4人。

 マンゴールドさんは約20年前、米海兵隊員として山口県岩国市の米軍岩国基地で勤務したことをきっかけに日本を好きになった。94年1月から京都市に居住。建築会社に勤めたことから、大工の技術を身につけ、95年1月の阪神大震災では被災住宅の再建を支援した。昨年4月に同団体を設立し、これまで被災地に救援物資を送るほか、現地で壊れた住宅を建て直すなどの取り組みをしている。

 

「関西弁のロバート」小さな町走る 在日外国人結集、海兵隊のノウハウ生かす

2011.5.21  産經新聞ニュース

小さな町のあちこちで彼を呼ぶ声がする。「ロバート、ロバート」-。在日外国人でつくる災害ボランティア団体のリーダーとして東日本大震災の被災地で活躍する米国人男性がいる。支援の手が入りにくい小規模集落に重点を置き、流暢(りゅうちょう)な関西弁で現地にとけ込む。本業は大工。被災者に呼ばれてはハンマーを振るい、復興を後押しする。

 京都市上京区のロバート・マンゴールドさん(41)。震災後に「国際災害支援機構(IDRO)」というボランティア団体を立ち上げ、交流サイト「フェイスブック」を通じてメンバーを募集。ウクライナ、イギリスなど各国の留学生や大学講師ら約30人が参加し、グループで定期的に被災地入りしている。

 来日して18年。津波の衝撃的な映像は、日本人の妻と子供の3人で見た。震災当初、テレビから伝え聞く地名は限られていた。ニュースに出ない場所はきっと孤立している-。心を占めたのは「自分がやらねば」という義務感だった。

 20歳すぎまで米海兵隊に所属。物資調達や人員配置のロジスティックス担当として災害現場に派遣された経験を持つ。阪神大震災のときもボランティアとして物資の仕分けをした。

3月中旬、米国人の知人と2人で岩手県沿岸の小さな漁村を回り、避難所を見つけるたびに救援物資を配った。いきなり現れた外国人の2人組に不審がる住民もいた。「どこの団体ですか。個人の寄付は受け付けません」と断られる場面も。組織の必要性を痛感し、京都に戻って結成したのが今の団体だ。

 被災地では大工の腕を生かし、工具で鉄筋を切ったり、側溝のふたを作ったり。関西弁で時折「おとん!」と呼びかけ、周囲に笑いを広げた。ボランティアの配置にも海兵隊仕込みの辣腕(らつわん)をふるう。集落に入って2日もすれば「ロバート、ロバート」と被災者の相談が絶えない。

 日本に住むことを決めたのは岩国基地に勤務した約20年前。我を通さず、周囲を立てる国民性にひかれたからだ。

 被災地で出会った80歳すぎの女性は津波で流された漁具を1人で回収していた。手伝おうとすると「大丈夫。他にもっと困っている人がいる」。

 日本人の強さに触れ「この国は必ず立ち上がる」と確信した。被災者と接した各国のメンバーも同じ感想を持つという。マンゴールドさんは23日からまた被災地に入り、電化製品などを届ける予定。「必要とされる限り、支援を続ける」と話した。

 


 

読売新聞  2011.11.22 

《顔》
ロバート・マンゴールド(42)

被災地に現れた関西弁を操る外国人に、最初は戸惑う人も多かった。
それが今では「ロバート、これ直して」と、あちこちから声がかかる。
これまで6回、計3か月現地に赴き、簡易浴場設置や民家の修理などに
父親譲りの大工の腕を振るった。
 
震災直後、個人から支援物資は受け取れないと避難所で断られ
「組織を作ろうと思った」
自宅のある京都に戻り、知人らに呼びかけ
<国際災害支援機構>を設立した。

1993年、6年間在籍した米海兵隊を辞めて来日した。
「20年前の岩国駐留時代にふれ合った、控えめで相手を立てる日本の人にひかれたんです」被災地でも他人を思いやる人に幾度出会ったことか。
「私より、もっと困った人を助けて」
散乱した漁具を一人で片づけていた80代の女性にはそう言われた。
ぐっときたが、
「なに言うてんねん」
と冗談ぽく返し、手を貸した。
厳しい冬は目前。
「被災者の心が折れないよう、支え続けたい」
寄付で買った瞬間湯沸かし器50台を届けに
近く7度目の被災地入りをする予定だ。